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タグ : メンタルヘルス , 俊介(公認心理師・臨床心理士)
2025年7月4日
目次
みなさんは生活に『自然』を取り入れていますか?『お庭』をお持ちの方は、家庭菜園を作ってみたり、草木を植えてみたり。マンション暮らしの方でもベランダを庭のように使う方もいらっしゃるようです。生活の中に自然を取り込む方法の一つとして『庭』という文化は身近なのかもしれません。
今回のブログでは庭とひとのこころの関係について考えられたらと思います。
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日常に『自然』を取り入れる文化としての「庭」。庭とは何か、庭園との違いを知ることで、私たちが空間に対してどのように意味づけをしてきたかが見えてきます。
庭とは、「屋敷の中で建物などがない空いた土地」を指します。草木がなくても空き地であれば庭と呼べることもあります。一方、庭園は「草木や石、池やししおどしなどを配置した空間」で、特に手をかけて造られた庭を意味します。もともと庭は祭事の場であり、「何かを行う場所」という意味合いもあるのです(関連項目:公認心理師執筆|自然セラピーとは?自然の持つリラックス効果を解説)。
庭は多くの自然物によって構成されています。なかでも土は場をつくる大切な存在ですね。
土とメンタルヘルスの関連について興味深い研究があります。土に触れることによって、ストレスホルモンコルチゾールの分泌量が低下するという知見です。
米コロラド大学ボルダー校のクリストファー・ローリー教授は、そのメカニズムについて、自然の土壌にも含まれる細菌による影響を指摘しています。
土の中に見られる細菌である「マイクロバクテリウム・バッカエ」を臨床実験としてマウスに注入した結果、脳の海馬のなかで抗炎症タンパク質「インターロイキン-4」(炎症を抑え認知機能を向上されると考えられている物質)が増加し、外的ストレスにさらしてもストレス誘導性タンパク質の出る量は少なく、土に含まれる細菌がストレス耐性を高める可能性があるようです(関連項目:精神科医監修|ストレス発散方法がわからないあなたへ!ストレス対処の心理学)。
緑や川のある空間をぼーっと眺めているだけで癒される感覚を感じたり、庭園を眺めていることで癒される感覚を感じることがあるもいらっしゃるのではないでしょうか。
庭園鑑賞や芸術鑑賞の癒し効果に着目した研究(内田ら,2012)によれば、芸術鑑賞よりも庭園を眺めるほうが癒されやすいようです。
もちろん個人差はありますが、庭を眺めることは少なからず癒しにつながりやすいようです。庭園という空間のなかに自分が入り、自然と触れ、それを眺めることは自分自身が自然に包まれる感覚やノスタルジーに浸る体験として味わうことができるのかもしれませんね。
日本にはさまざまな様式の庭園があります。
金沢の兼六園や島根の足立美術館に代表されるような庭園や、枯山水と言われるような庭園、西洋の庭園から造られた庭園など、さまざまな形の庭園が全国各地に見られます。
日本の庭園はどのように発展したのでしょうか。
日本ではじめて庭園がつくられはじめたのは、飛鳥時代や奈良時代ごろだと考えられています。百済や新羅といった朝鮮半島の国から庭園の技術が持ち込まれました。
当初の庭園は”四角い池に石像を置いて水を流す”といったものであり、いわゆる現代の日本庭園とは大きく異なっていたようです。現代の日本庭園の形をとったのは、平城京が造成された際だと言われています。自然の形をした池を造り、そこに注ぐ水の流れを川や滝として再現して、石をありのままの形で用いるようになり、「自然の風景を模して造られたもの」である庭園がつくられるようになりました。
平安時代になると、自然の山などを背景として活用した庭園を造る様式が流行したり、平安時代末期には仏教思想への流行から「極楽浄土」を再現した「浄土庭園」が造成されるようになっています(浄土庭園としては平等院鳳凰堂の庭園が最も有名かもしれません)。当時考えられていた”あの世”の様子をこの世に模してつくっていたのですね。
鎌倉~室町時代に入ると、禅の修行のために用いられる枯山水に代表される庭園が誕生したり、千利休の侘茶などにつながるお茶を飲みながら眺める庭園が生まれます。江戸時代になると、それらすべてを統合して、いろいろな形式の庭園が混在する回遊式庭園ができました。また、西洋との交流が生まれてから西洋式の庭園が輸入されています。
時代の流行に合わせて変化してきた庭園ですが、当初より不変の要素として”自然を完全には切り離すことのない自然物をつかった庭の作り方”であったことがわかります。空き地としての庭を人工物をもって装飾するという発想は近代になるまで見られませんでした。
日本においては、アニミズム文化の影響により「自然は畏怖される存在・場」として捉えられていました(樹海とか夜の林ってどこか怖さがありますよね)。自然を模倣した創造物である庭園は、触れることのできる”自然”づくりであったと考えられています。畏怖の対象である自然を、人間の制御が効く範囲に置こうとするといったことでしょうか。
自然と人間の関係性については内山節の「自然と人間の哲学」という書籍にて詳細が触れられています。興味をお持ちの方は是非お一読ください。
東洋の庭園と西洋の庭園を思い浮かべてみてください。私は、西洋の庭園は「庭師が丁寧に管理した均整のとれた庭園」を、東洋の庭園は「原生のもとからある自然を模した庭園」をぼやっとイメージします。東洋と西洋の庭園の差異について考えてみたいと思います。
精神科医である木村敏は、『自分というもの』という著作のなかで東洋と西洋の庭園における差異をテーマに論じています。
西洋では、”自然”を、対象物、主体客体(わたしとあなたを切りわける)の関係性になる名詞として使用していました。一方で、明治維新以前の日本において”自然”は「おのずから・ひとりでに・自然と・もしも」といった副詞的な用法を以て、在り様を示す言葉として使われていたようです。
「おのずから」ということばは人間が意図(人為)が入らないものという使われ方をしていました。盆栽は日本特有の文化であり、「一つの盆栽のなかで、小宇宙(ありのままの世界)を表現する」ものとして捉えられていたことも特徴的かと思われます。
西洋の庭園が自然を対象として人間がコントロールする形に近い整えた庭園の作り方に見えるところと、東洋の庭園が苔石を用いたり川の流れを再現するような自然の「ありのまま」を再現しようとした感じがあるという違いを感じるのは、このような自然の捉え方の違いがあるのかもしれません。
木村敏は、「わたし」との「あいだ」という概念について多くの著書を残している人物でもあります。
明治維新以後の近代的な考え方においては、主客を重んじて「個」や「主体」を重視するという考えが発展してきました。明治維新までの日本においては、主客の関係が存在する個や私という考え方よりも、場や空間の在り方を重んじる文化が主流であったようです。
「主体性」という言葉自体、1932年にハイデガーが使ったものを三木清が訳したのが最初であると言われており、日本において「主体性」という言葉が使われ始めて、まだ100年は経過していません。
「『私』はどうであるか」・「『これ(あなた)といった対象』はどうであるか」といった、対象物を考える客観的に捉えようとする考え方でなく、「『私たち』はこうである」とか、「場や家、国の風土としてこうである」といった空気感のような場の雰囲気を重んじているような曖昧な捉え方があるのかもしれません。
メンタルヘルスを保つためには「主体的」であることが重要だと指摘されます。現代の社会において、確かに正しい指摘かもしれませんが、”場”を重視できないことによる苦しさにも意識を向けるべきなのかもしれまん。以前ご紹介した「風呂キャンセル界隈」(「風呂キャンセル界隈」急増中!?その真相とメンタルヘルスの関係)に代表される、何処かの誰かと何かを共有することを通じて”一緒”だという感覚を共有する「界隈性」は、日本人のネイティブ感覚を刺激する文化なのかもしれませんね。
庭園や自然に触れる体験は、メンタルヘルスにとって有効な癒しの時間になります。身近に庭がない場合でも、公園に足を運ぶ、鉢植えを育てるなど、小さな自然とのふれあいが心を整える一歩になるかもしれません。
自然に囲まれる時間を意識的に取り入れることで、自分の心にも静けさと安らぎが生まれることを実感してみてください。
参考文献
【解説】 俊介(公認心理師・臨床心理士) 私は庭園でぼーっとする時間が好きで、ある庭園の年間パスポートを購入していたこともありました。レジャーシートを敷いて食べるサンドイッチがおいしいのなんの…。 お庭おすすめします。
【監修】 本山真(株式会社サポートメンタルヘルス代表) 精神科医師、精神保健指定医、日本医師会認定産業医 東京大学医学部卒業後、精神科病院・精神科診療所における勤務を経て、埼玉県さいたま市に宮原メンタルクリニックを開院。医療法人ラック理事長として2018年東京都足立区に綾瀬メンタルクリニックを開院。2019年メンタルクリニックにおける診療から見えてくる社会課題を解決するため株式会社サポートメンタルヘルス設立。 |