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タグ : ふ~みん(公認心理師) , メンタルヘルス
2024年9月20日
【解説】 ふ~みん(公認心理師)
【監修】 本山真 医師、精神保健指定医、日本医師会認定産業医 東京大学医学部卒業後、精神科病院・診療所での勤務を経て、さいたま市に宮原メンタルクリニックを開院。現在は株式会社サポートメンタルヘルス代表に加え、2院を運営する医療法人の理事長としてメンタルヘルスケアに取り組んでいる。 |
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車を駐車場に停めたとき、周りにたくさん空きがあるのにわざわざ隣に別の車が駐車して「何でここに?」と思ったり、空席がたくさんあるはずの劇場などで隣や前後など近くにばかり人が集まっていて「何だか気を遣うなぁ」と感じたりしたことはありませんか?
私はあります!
駐車場に関しては、ドアを開けたときにぶつけたりぶつけられたりするいわゆるドアパンチの予防や、隣が空いている方が単純に乗り降りに気を遣わなくて済むという観点から、停める場所を選べる状況のときはなるべく隣に車がいない所を選ぶことが多いのですが、用を済ませて戻ってくると隣に車が停まっている…しかも運転席側に停まっているときには「わざわざここに停めなくても」とちょっと不快な気持ちになることもあります。
また、映画館や球場で見やすいようにとできるだけ前や隣が空席になっているところを選んでチケットを買ったのに、前の列や2、3席空けた隣にも人が…もちろん混雑しているときは何も思いませんが、すいている日なら「あっちもそっちも空いているのになぜ?」と不思議に思ってしまいます。ですが、それには例えば出入り口に近くて便利、隣に車が停まっていた方が車庫入れをしやすい、番号や位置にこだわりがあってどうしてもその席が良かったなど明確な理由が認められる場合もあるようです。これらの理由を聞けば頭では理解できますし、空いているのですからどこに停めるのも座るのも個人の自由なのですが、なんだかすっきりしません。
これまでに友人や家族とこのような話をしたことがありましたが、先日、何とネットのニュースになっているのを見かけ、思わず読んでしまいました。その記事によると、わざわざ隣に駐車したり座ったりする人達のことを「トナラー」と呼ぶそうです。トナラーには先述したように自分なりの理由やこだわりがあったり、不安感が強いゆえに誰か(何か)の近くにいると安心感を得られるという無意識の感情が働いていたりするそうです。
快不快の感じ方は人それぞれ。すぐ隣に見知らぬ人や車がいるのは嫌だと感じる人が多いのではないかと思いきや、意外とそうでもなくむしろ安心するという人もいるようで、どうやらトナラーは後者のタイプに近い人が多いと考えられています。
そこにはパーソナルスペースの問題がかかわってきます。「パーソナルスペース」という言葉は専門用語としてではなく日常会話でも用いられることがありますよね。おそらく皆さんがイメージしている通り、自分と他者との物理的な距離感のことです。このパーソナルスペースについては、心理学よりも先に文化人類学の分野で研究が進んでいました(こちらもどうぞ:産業医監修|職場におけるパーソナルスペースから考える快適なオフィス空間)。
文化人類学者エドワード・ホールによると、パーソナルスペースは以下の4つに分類されます。
家族、恋人などの親しい間柄の相手にのみ許容され、スキンシップが可能な距離。
友人、知人、親しい同僚などと言語によるコミュニケーションを交わし、表情が読み取れる程度の距離。
職場の上司、取引先の社員などビジネス場面で適切とされる距離。
講演会や演説会場など、個人的なやりとりを必要とせず、面識のない人同士が集まる場として適切な距離。 |
もちろん個人差はありますので上の距離はあくまでも一般的なものです。また、相手との関係性や親密度によっても許容できる距離が変わると言われているので、例えば親しくない人や見知らぬ人が上の例で言う①や②の範囲内に入るとたいていの人は不快だと感じるそうです。実際はスペースだけの問題ではなく他にも要因がありそうですが、だから満員電車ではストレスを感じるのですね。
しかし、物事の解釈の仕方やとらえ方の特性から、およそ10人に1人はこのようなパーソナルスペースの概念が希薄でそれに対して無頓着だと言われています。おそらくトナラーはそのタイプのため、隣に車が停まっていても、誰かが座っていても気にならず、まったく悪意なく自分の考えやこだわりを優先してその場所を選んでいるのでしょう。
また、人間は本能的に不安なとき集団の中にいると安心できるような性質をもっています。それは、同調性と呼ばれるもので、ルーツをたどると狩りをしていた時代から備わっていたようです。大昔、人間は群れの中で生活していました。群れには行動のルールがあり、そのルールに従っていれば安全を確保できるので生存率を下げずに生活することが可能でした。しかし、もしルールに従わず群れの仲間から嫌われてしまったら、孤立し命の危険にさらされることすらあったのです。
現代は群れの中での生活ほどシビアではありませんが、人々は円滑な社会生活を送るために様々なものから影響を受け、行動や態度、意見を周囲に合わせて変化させながら生きていることは変わりないと言えますし、集団に所属したり仲間と協調したりすることで心理的な安全を得やすくなることは種々の研究からも明らかにされています。
余談ですが、流行のファッションを取り入れる、行列のできる飲食店に行き並んでみるなども同調性の一種ですし、悪い例ではいじめも同類です。そこには多数派の真似をしておけば失敗しない、安全だと考える背景があるのです。人間は不安が強ければ強いほど、それを和らげるために他者を求めて近付き、集団で過ごそうとする傾向があると言われてきました。大地震や火事など、不安でパニック状態になっているときこそ他者の言動に左右されやすくなるのはそのためです。
やや横道にそれた話になってしまいましたが、つまり、駐車場でも劇場でも無意識のうちに他者の行動や考えに影響を受け、自分1人だけよりは両隣に車が停まっていたり人がいたりする方が何となく安心できると感じるがゆえの行動の可能性もあるということです。今度もしトナラーに遭遇したら、「パーソナルスペースの概念が希薄な人なのか」「安心感を得たいのか」「ただのこだわり屋かも」など、不快な気持ちになる前に色々考えをめぐらせてみると面白いかもしれません。